ウジェーヌ・カリエール『母の接吻』

ウジェーヌ・カリエール 象徴主義 くすんだ闇の中で光る

セピアってイカスミって意味らしいですね。

私は美術館に行くと、気に入った作品の作者名とタイトルだけ携帯のメモに書き込んであとは未来の自分が詳しく調べるだろうと放置する癖があります。そういうわけでたまにメモアプリを開くとずらーっと名前の羅列が何十件も溜まっていたりして、過去の自分にいらつくこともしばしば。今夜はその中の名前の一つ、ウジェーヌ・カリエールについて。

彼の名前を書き込んだのは、おそらく静岡県であった「ターナーからモネへ」展の中にあった『オーロラ』という作品が気に入ったからだと思います。その作品のパブリックドメイン画像が見つからないのでここでの紹介は割愛しますが、何故気に入ったかと言えば冒頭にあげた『母の接吻』(1890年末頃)を見てもらってお察しの通りとても地味なのです。本当に。だってこの絵が描かれた1890年代ってみんな大好き印象派1のセザンヌやゴーギャン、ルノワールといったカラフルで外の世界の目もくらむような光を追い求めていた頃じゃないですか。その時代の絵の並びの中にぽつんと、異質にもブラックホールのように鎮座していたのがウジェーヌ・カリエールの『オーロラ』だったんです。

 

明るい絵を描いたら死ぬ病気だと言わんばかりの自画像

絵画における象徴主義とは印象派と並んでアカデミックな絵に離反して生まれたらしく、印象派が筆を自由に遊ばせて世界の色彩を捉える光属性なら象徴主義は人間の内側の精神や夢といった形のない神秘的なものを視覚化しようとする闇属性といった感じ。カリエールはそんな象徴主義に属する画家で初期は色彩豊かだったものの後期はこのようにくすんだセピア色の靄がかった作品を多く残すようになったそう。一体何があったのか。またロダン2とも交友があったそうで、デスマスクをつくってもらえる程の仲だったとのこと。羨ましいですね。ロダンは荒々しい作風を批判され、カリエールはぼんやりとした作風を批判され、そういった意味でも類友なのかもしれないです。

 

ウジェーヌ・カリエールの『母子像』
見る時の気分によって見え方も変わりそう

霧がかったセピアの暗幕を掛けても滲み出てくる光、果たして光っているものは何なのか。カリエールは母親を題材にした作品を多く残しているようですが、そこに描かれる母性には単なる美徳の輝き以外のものも込められているように思えてなりません。眺める時の気分やナイトシフトのオンオフでガラリとイメージが変わる、そんな目に優しい画家ウジェーヌ・カリエールをまたどこかの美術館で見つけたいものです。

 

 

  1. 私も好きです。
  2. 『考える人』とか『地獄の門』とかで有名なオーギュスト・ロダン。何故か静岡県立美術館にはロダン館が常設されているので、行く機会があったら見に行ってほしいです。小学生の頃よくそこで走り回ってました。

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