映画『ミスター・ノーバディ』のニモ・ノーバディ

映画『ミスター・ノーバディ』(2009) 全ての可能性を捨ててでも

これは天使に指をあててもらえなかった少年のお話。

鼻の下と上唇の間にあるくぼみを人中というんですね。ユダヤの伝承では全ての子どもたちは胎内でこの世の全てを天使に教わり、生まれる時に唇に指を当てられて世界の秘密を守るように約束させられるそうです。その時の指の跡が人中というわけです。天使、めっちゃ強く指当てるんですね。この伝承はこのジャコ・ヴァン・ドルマル監督の映画『ミスター・ノーバディ』(原題: Mr. Nobody)で語られます。主人公であるニモ・ノーバディ(誰でもない少年)は産まれる先の両親を選んだ後、天使が指を当てに来るのを待つのですが、彼は天使に見逃されてしまいます。そのまま彼は産まれることになってしまうので、この世の全て、つまりは未来を思い出すことのできる予知能力をもった子どもになってしまうのです。

 

映画『ミスター・ノーバディ』 生まれる前の主人公ニモ・ノーバディ
少年は人生のあらゆる可能性を覚えたまま産まれることになってしまう

この映画では幾通りもの人生が描かれます。大まかにはニモが3人の女性の内の誰と過ごすのかという3つの流れ、その根源として別離する両親の父と母、どちらと住むのかという小さな子供には難しすぎる2択によって分岐する人生が157分に収められています。その中に「鳩の迷信行動」1、「バタフライ効果」2、「ビッククランチ」3といったアイデアを盛り込みながら、どこを切り取ってもポストカードになりそうな美しい画作りと単純明快な色使いによってわかりやすく描いているのがこの映画の素晴らしいところだと思います。どこかでこの映画の分岐した人生が合計で20種類を超えるという記事を読んだのですが、そうでありながらも混乱無く観られるというのは監督のずば抜けた構成力のなせる業ではないでしょうか。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督の映画は他に『トト・ザ・ヒーロー』を観たのですが、それも自分が病院で隣の家の息子と取り違えられたと信じている主人公が「あり得た人生」に執着して隣人と成り代わろうとする話なので、複雑な語りを上手く処理するのに長けた監督なのでしょう。

 

映画『ミスター・ノーバディ』ニモとアンナ
3人の中で、ただ1人、死の間際に彼女の名を呼ぶ

3人の女性、アンナとエリースとアジア系。全ての選択と全ての人生が正しいとしながらも、やはりニモにとって最愛の人はアンナだったのでしょう。正妻と負けヒロイン、みたいな括りでキャラを分別するべきではないにしろ、やはり偏りはあるように思います。アンナについて語る熱量が他の二人に比べて段違いです。もちろん、エリースとの火星の重力の話4とか、それぞれグッとくるシーンはあるのですが、アジア系の女の子と結ばれるパターンの人生は結構投げやりでした。付き合うきっかけもエリースにフラれたことへのあてつけですし、最終的に人生を虚しく感じて自殺に近い無茶な遊びを始めるくらいですし。書きながら彼女の名前が思い出せないか試してるんですけど、思い出せません5。アジア人女性が報われないのはちょっと悲しいですが、時にはこういう心にもない選択をしてしまうということが人生には往々にしてあるでしょうから、彼女もまた人生の可能性を描く映画に必要な人物だったのでしょう。

 

映画『ミスター・ノーバディ』のアンナ
完全にメインヒロインの貫禄

ジャコ・ヴァン・ドルマル監督はたぶん近親相姦的な関係への憧れというか、義姉との禁断の関係を描くのが好きなようで、それは『トト・ザ・ヒーロー』でも本作でも共通して現れる要素です。やっぱりタブーに触れたいのが人間の性というものなのでしょうか。実際に兄弟あるいは姉妹がいる人からしたら絶対無理って感じるのがマジョリティではあるとは思うんですけど。とにかく母親の再婚によりアンナと家族になってしまったニモのパートは圧倒的な監督の情念を感じます。アンナ役のジュノ・テンプル、少し顔が腫れぼったくて正統派美人というよりは個性派な感じでスレた役柄を演じることが多いようですが、この映画で観る彼女は超絶かわいく見えます。監督の映し方が美しくてエロいです。Pixies の “Where Is My Mind?” を流しながら両親のいない部屋の中で無邪気に追いかけ合うシーンを観ると素直にじゃれあえる恋人が欲しいって気分になりますね。映画『ファイト・クラブ』のテーマソングとしてのイメージが強い曲ですが、私の中ではこの曲を聴くと甘酸っぱい若さと馬鹿さの匂いと共にこのシーンが頭のなかで再生されます。

 

映画『ミスター・ノーバディ』 母を追いかけて電車に追いつこうとする少年
お父さんの声に振り向かなければ、靴紐がちぎれなければ、メーカーが紐の品質をケチらなければ

あらゆる未来を最初から知っていて誰を愛するのか、その人との結末も知っている、そんなニモが離婚した父と母どちらを選ぶのか迫られた時の彼の選択はもしまだ観ていなかったら是非観てもらいたいなぁと思います。この映画の最後は「ビッククランチ」によって世界の時間が巻き戻って、あらゆる選択や愛別離苦を白紙に戻しながら、川の桟橋で幼いころのアンナと無邪気に遊ぶニモの姿で締めくくられます。ここでやっぱり思い出すのはニーチェの運命愛ですね。バカの一つ覚えみたいに『メッセージ』の感想でも引用した考え方なのですが、ありとあらゆる可能性の中で一つを選び一人を愛する、その決断はやはり運命愛的なものを感じるといいますか、ニーチェの哲学は神様抜きで人生を肯定しようというものなので神様的なものを信じきれない最近の世の中では感応性が高いアイデアなのかもしれません。哲学的空気をただよわせつつ、美しい映像で色んな人生を垣間見ることができる本作は間違いなく私の生涯映画にリスト入りすることでしょう。個人的に創作物というのは自分とかけ離れた世界を共通項を介して追体験することが醍醐味だと思っているので、その点この映画は一本で20本分の価値があると言える、のかも。

 

映画『ミスター・ノーバディ』のポスター

 

 

『ミスター・ノーバディ』(原題: Mr. Nobody)

監督 ジャコ・ヴァン・ドルマル

脚本 ジャコ・ヴァン・ドルマル

主演 ジャレット・レト

 

 

 

 

  1. ボタンを押すと餌が出てくる箱(スキナー箱)に飼われた鳩は、途中からボタンに関係なく餌を出されると、その直前にしていた行動を餌が出てくる条件なのだと信じてしまう(オペラント条件付け)。これに囚われた鳩は餌を食べるために羽ばたいたり、首をかしげ続けるようになる。たとえそれが無関係だったとしても。
  2. 例えば蝶の羽ばたきによっておきる風が連鎖反応を起こして地球の反対側で嵐になるかもしれないといった、わずかな変化が未来に大きな影響を与えるとするカオス理論の一説。作中でも一見無関係な出来事やわずかな言動によって主人公が翻弄されていく。
  3. ビッグバンによって始まって膨張し続けている宇宙はある一点で自らの重力により収縮し始めるという宇宙の終わり方の一説。収縮する世界では、拡散していく一方だった全てのもの(煙、割れた壺、愛情)が始まりへと巻き戻っていく。
  4. 「あなたのことを話してよ」と迫るエリースに対して「火星の表面重力は0.38」と答えるシーン、この作品の中でも画に頼らない名シーンだと思います。お互いの独特な感受性が重なり合う瞬間で、これがあるからエリースがどんなに身勝手で不安定な人間でも私は嫌いになれません。
  5. ジーンでした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。