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Phoebe Bridgers “Funeral” こそばゆいブルーへの沈み方

無学なので、好みの音はとりあえず1/fゆらぎって呼ぶことにしてます。

夜な夜な、とか言いながら結構日が空いてしまいましたがブログに飽いたわけではありません。本当は今週いっぱい知人が手伝いを必要としてくださっていたのに、それすら無下にしてしまってただゆっくりと家に引きこもっておりました。そうすると書くようなものが驚くほど無いんですよね。最近の身の回りの変化といえば買いだめていたトイレットペーパーが尽きたことでしょうか。バリバリと外に出る元気がある頃は1パック買えば半年くらい保つものが、家に籠りがちになると途端に毎日の消費物に。トイレは健康のバロメーターとはよく言ったものです。ちなみに私はトイレは電気をつけない派です。明るいと落ち着かないですし、暗くて狭いところが好きなので実家ではよくトイレに篭って寝ていました。するとドア下の隙間からトイレマットの毛羽立ちを狙った猫の手がペシペシと差し込まれて、時々足の甲に刺さるのがとても可愛いらしいので、仕返しにその手を捕まえようといういたずら心が燃え上がると、彼らが飽きるまでのほんの僅かな間生物の種を越えた戯れに夢中になれます。言葉を持たない彼らにとってのドアの隙間の魔物を演じるのがここ近年で一番の楽しみです。今住んでいる家はトイレに小窓がついているので昼でも夜でも真っ暗にならないのが残念でなりません。

好きなものを紹介する前置きにトイレの話するのどうかと思いますが、今回紹介したいのは閉じきったバスルームで誰の干渉も受けず、可能ならば浴槽に漂いながら聞きたい1曲、フィービー・ブリッジャーズの “Funeral” です。

 

 

Official Lyric Video と、MVじゃなくて歌詞を見せるための動画なんてのもあるんですね。歌詞のワードチョイスが本当にシンプルです。年の近い人のお葬式で歌う息の詰まるような気持ちを無駄に遠回りすることなく「いつもブルー、私はこれまでも、これからもずっと」と表現する。言葉がシンプルだからこそ歌声と楽器の音色による世界が深まるように思います。「そしてまた、朝の4時。私はまた何もしていない」と締めくくられる、憂鬱で息苦しさの漂う朝の訪れ。なんとなく曲全体に朝の冷たい空気みたいなのが漂っている気がしませんか。とはいえせっかくの洋楽なので深く歌詞のことを考えすぎず、聞こえる音の好き嫌いに素直になろうと思います。よく考えたら私の人生では幸運なことに葬式2回しか行ったことないですし。

この曲のサビの声の重なりを聴くと耳がなんだかこそばゆくなるのは私だけでしょうか。こそばゆいといっても不愉快ではなく、寧ろ何度も聴きたくなる綿毛の耳かきのような心地よいこそばゆさ。音楽に明るい人ならこれは~だという風に説明できるのでしょうが、私はこういう音作りをエセ科学っぽく1/fゆらぎと呼ぶことにしています。ろうそくの火とか小川のせせらぎに含まれるノイズだそうです。何がゆらいでるんだとか細かいことは知りませんが、強いて言えば私の心がゆらぐのでしょう。他の誰かになってしまいたいような憂鬱を、誰しも種類は違えど抱えた経験があると思いますが、そんな時に明るいアッパーな曲を聴いて転換する人と暗い曲でただただ静かに追想したい人がいるとして、もし後者ならばぜひご拝聴いただけたらと思います。この心地よいブルーのこそばゆさに転げてる私がどこかにいます。

 

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