Sylvan Esso “Coffee” ダンスのようにありきたり、でも

枯れた恋に憧れますが、とりあえずまず咲きたいです。

こないだカルディで売ってたチョコスプレッドのことを記事にしたのですが、そもそもカルディってコーヒー豆を売る店ですよね。うちには豆を挽く設備もお湯を沸かし蒸らし煎れる甲斐性も無いため買う機会はそうありませんが、実家では母がコーヒー中毒だったので毎朝色々なコーヒーを飲ませてもらいました。半端に病質的な凝り性は母親譲りかもしれません。その割に聞茶はできないのでいつも喫茶店ではオリジナルブレンドを頼み、酸っぱかったねーとか匂いはなんとなく好きだったねーとかそういう投げやりな楽しみ方をしています。ブルーマウンテンに砂糖とミルクを大量に投入し氷を入れてかき混ぜてたら母親に残念そうな顔をされました。あとコーヒー飲むと眠くなりませんか? 天の邪鬼かよって言われることも多いのですが、調べてみるとコーヒーを飲むことで眠くなる体質の人も結構いるみたいです。日本人はお茶を昔から飲んでるからカフェインに耐性があるという眉唾な説もあれば、小さい頃から飲み慣れてリラックスしてしまうのが原因だとする説、利尿作用によって脱水症状になり眠気が増幅するという説など色々ある様子。今思い出しましたが中高時代謎の体調不良で学校を休むたび脱水症状ですねと言われて点滴打っていましたがあれ全部コーヒーのせいだったんじゃないかな。

そういうわけでひとしきり私のコーヒーへの薄っぺらい想いを述べた自然な流れで今回紹介するのはシルヴァン・エッソのデビューアルバム収録の”Coffee”のこと。

 

残念ながら日本に正式上陸したのはセカンドアルバムの What Now からなので、日本の iTunes では購入できません。しかしながらありがたいことに Youtube で公式に配信、かつ Bandcamp でも購入が可能なので気に入ったら買って下さい。別に Bandcamp にはアフィリエイトとか無いんですが、単純にアーティストに利益がいくシステムって素敵だと思いませんか。しかも払いたい額を上乗せできるそうです。歌手は値段や音質、視聴範囲を自由に設定できて、リスナーである我々は好きな歌手に好きなだけ払う権利が許されている。音楽に救われたなら音楽を金の力で潤してあげるのが文明社会のあるべき姿1。そういうのに憧れます。

 

シンプルな言葉運びに不安になりそうな錆びついた透明感のあるポリリズム2。毎回曲を紹介する時に憂いを帯びた声って表現したくなるのは、そういうアンニュイな雰囲気をもつ歌を好きになる傾向にあるからでしょう。

最近 Genius という面白いサイトを見つけました。歌詞の解釈をユーザーが注釈しあったり、インタビューを引用したり、はたまたアーティスト本人へ質問できるというコミュニティサイトです。前身のRap Genius は2009年から存在していたとのことですが、その頃はその名の通りラップ専門だったようで知らなかったです。歌詞のように短いフレーズで区切れが曖昧なものを日本語に訳そうとする時、ネイティブの解釈が読めるというのは良い時代になったものですね。小さな頃は3趣味で洋楽の歌詞を訳していましたが、昔にこのサイトを知っていたら頓珍漢ないっそオリジナルポエムを生産する必要は無かったでしょう。とはいえ、アーティスト本人に歌詞のQ&Aを設けるって、解答義務は無いにしろちょっと神秘性が薄れてしまいそうで怖いような。芸人にボケの説明をさせるような恐ろしさとでもいいますか。ともかく Genius で現時点で掲載されている解釈を踏まえた上での歌詞拙訳が以下のものです:

そうね

ダンスの振り付けのようなもの

お辞儀に、会釈に、求愛に

言葉は確かに本物だけど

何も新しいことはない

 

あなたの腕で包んで

私は感じられないけれど

あなたの腕で揺り動かして

私は感じられない、けれど

 

歩み寄って、離れて

回っていくのを感じて

止まって

次の人が待っている

歩み寄って、離れて

感傷は相変わらずでも、足並みは違う

 

私の言葉は肌の上で乾いていくでしょう

聞き覚えのある名前みたく

 

荒む冬々 温かいコーヒー

ママはいないけど、あなたは私を好いてくれる?

焼きつく夏々 冷たいコーヒー

あの子はいないけど、あなたは私を好いてくれる?

 

歩み寄って、離れて

回っていくのを感じて

止まって

次の人が待っている

歩み寄って、離れて

感傷は相変わらずでも、足並みは違う

 

私はダンスする文化に生きていないのですが、『高慢と偏見』4とかそのへんの英国文学を映画化したものを観たことがあればなんとなくイメージしやすい情景ではないでしょうか。ダンスと言ってもここで言及しているのは密接に触れ合うチークダンスというよりは、男女が向かい合って列になり、お辞儀をしてひとときのシンクロの後にペアがずれていくといった社交界のドライなダンスが想起されます。それはまあ当時は貴重なアタックチャンスだったのでしょうけれど、よく知りもしない相手と決まりきった振り付けを機械的に交わしていくことに心のつながりを求めるのって結構絶望的じゃありませんか。私だったら絶対最後らへん感情ゼロで踊ってると思います。それでも次はきっと、と願いながら踊り続けなければならない。恋はビタースイートとか言っちゃうと急に陳腐化してしまいますが、人生でわずか体と心を重ねて共に過ごす人間の移り変わりの虚しさと苦々しさを崩れそうなリズムにのせて歌っている、そんな曲だと私は思っています。

  1. 音楽に限らず、無料と無償の愛を履き違えてはいけないと思う昨今です。
  2. 使い方あってますか?
  3. 今は大きいと言わんばかりの叙述。
  4. 関係ないですが『高慢と偏見とゾンビ』って映画、その響きだけで名作認定です。

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